祥子(母:40歳)と俺は近親相姦をしている。
事の始まりは3年前になる。
中学受験を控えた俺は、成績が思うように上がらず苛立っていた
中学2年までは、学年でも上位にいた俺だったが、3年になると辺りが上がったと言うか、俺の成績も落ち込み始めていた。
親父は地元の進学校に進む事を期待し、それ以外は眼中に無いといった感じ。
母も親父と同様の考えだった様だ。
俺なりに頑張ったんだが、第一志望の高校へ入る事が難しいと先生に言われ、渋々第二志望へ落とす事になった。
親父は呆れ顔で、話をする事も無くなった。
毎日のストレスに俺は心が破裂しそうだった。
受験と同時に親父の海外勤務が決まり、俺は母と2人で暮らす事になった。
ランクを落とした事で受験は上手く行ったが、父からは「おめでとう」の言葉も無かった。
受験ストレスから解放され、俺は古い友人3人と遊ぶ毎日。
そんな俺に母が言った、「そんなダラけてたら高校でも成績が落ちるわよ。また失敗したいの?」という言葉。
俺の中で何かが外れた感じがした。
春。
高校の入学式を終え、教室で新しい担任の挨拶と顔合わせが行われている中、廊下で母がPTAの役員を頼まれていた。
専業主婦だった事もあり、母は役員になった様だ。
それから数ヶ月が過ぎた6月。
高校で仲良くなった友人が強張った顔で俺の所に来たんだ。
友人「驚くなよ。これ見ろよ」
俺「なんだよ!急に」
友人が見せて来たのは、母が見知らぬ男性とホテルに入る所の写真だった。
友人「これ!お前の母ちゃんだよな」
俺「あ~どうしたんだよ、これ?」
友人「男なぁ・・・俺の親父なんだ」
俺「嘘だろう!」
友人「本当だよ!最近PTAとか言って夜出るから、おかしいなぁと思ってたんだ」
俺「尾行したのか?」
友人「偶然!友達と遊んだ帰りに親父が見知らぬ女と歩いていて・・・気になって後追ったら」
俺「マジかよ」
あんなにキレイ事を言っていた母が浮気していたなんて・・・。
春に言われた「失敗」という言葉が蘇り、母に対し苛立ちを覚えた。
友人も親父の浮気で家庭崩壊は困ると言うし、何としないと・・・そう思っていた。
その日の夕方、俺は友人を家に招き、母に浮気の事実を追求しようと思っていた。
母をリビングに連れて来て写真を見せると体を震わせ、「違うの・・・」と一言。
友人と罵声を浴びせ、浮気について聞くと、全てを語り始めた。
もう二度と友人の親父と会わない事を約束させ、更に俺は母に裸になる様に命じた。
母「出来る訳無いでしょ」
俺「じゃ、親父に報告するだけだよ」
母「それだけは・・・」
俺「親友に迷惑かけたんだから、それくらいして謝罪の意を見せてよ」
母「でも裸って・・・」
俺「友人の親父に散々見て貰ったんだろう!さっさと脱げよ」
諦めたのか、母は服のボタンに手を掛け、少しずつ服を脱ぎ始めた。
幼い時に見て以来、母の身体は何年と見ていない。
身長156cmと小柄で人妻らしい肉付き、胸はEカップ程あり、色白肌だ。
脱いだ母をソファーに押し倒し、俺は友人と母を襲った。
初めは抵抗もしていたが、世間体も考えたのか大声を出す事も無く、俺と友人の肉棒を受け入れたのだ。
初めての女性が母だった俺は、マンコの気持ち良さに母を女としか見れなくなっていた。
友人が帰った後も、俺は母と一緒に風呂に入り、深夜まで母の身体を弄んだ。
母「こんな事は駄目なのよ!親子でSEXは駄目なの!分かるでしょ」
そんな事を言い続けた母も、俺の肉棒を挿し込まれると、「あ~・・・ダメ!」と言いながら息を荒らし、
最後は、「凄い気持ちイイ!ダメ、変になっちゃう」と息子の肉棒に狂わされイキまくってた。
一線を越えた2人が、もう元に戻る事が出来ないのは当たり前で、俺は毎日、暇を見ては母の身体を求め、友人も時々来ては母と一戦を交えていた。
半年も過ぎると母は完全に俺の性処理奴隷となっていた。
色々な道具責めで、完全に母は痴女に変わり、自ら俺の上に跨がり腰を動かす程だ。
家を訪れる友人も2人に増え、母に色々なプレーを求めていた。
気づけば母は3穴同時に責められる程で、数ヶ月前の清楚なイメージは無くなった。
そんな事とは知らない親父は、海外から時々電話を掛けて来る。
半年に一回程帰って来る親父だったが、母にはSEXしない様に言いつけてある。
元々夫婦の営みも少なかった様だし、父も向こうで良い事しているのだろう!
1年も過ぎると、俺が帰宅すると既に友人が来ていて、ソファーに縛られた母が極太バイブを前後に入れられ喘いでいる事も多々。
友人は配達員が来ると母にエッチな姿で出向かわせるが、危険が漂うので俺は注意している。
母の陰毛は数ヶ月前に除去され、肉棒とバイブを挿し込まれ続け、ちょっと黒ずみが濃くなっている様に感じる。
母と出掛ける時はカップルの様な感じで、昔の親子よりも仲が良くなったと思う。
母も俺の事を恋人として接しているし、俺の奴隷である事を認識しているから、どこでも俺の指示に従う。
早いもので、母と関係を持って3年が経過した。
今でも親父は海外勤務。
母と2人、毎日楽しく過ごしている。
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